2023/09/25 18:51

<過去記事転記>ブログ引っ越しに伴い、人気の記事をこちらに転記致します。年月日不順になります。


黒い丸の正体は「かりんとう」です。
お客様からの差し入れです。

古唐津の皿に。。。
渋さ通り越して、もはや、、、造形要素漂うモニュメント?
昨日、そんな話をしていたので今朝は思考が現代美術目線です。


横に添えたのはドイツ人陶芸家の作品。

ゲルト クナッパー作

この業界に限らず、一つの道を進んで行きますと、あっちも!こっちも!と結果的に遠い所にあった人や物が繋がるという事が、どの業種の方にも経験があるかと思います。
デザインにも枝分かれされたカテゴリーがあるのと同時に美術にも様々なジャンルが存在します。
その細く伸びた先々で出逢うのが、その道のプロとされる人であり作品として存在する物や人。
又、志を高く持つことにより、念願の人との出逢いが用意されているような経験もするかと思います。
偶然を必然にするのは、その瞬時の判断と己の身の丈に合う振る舞いが、その「場」で出来るか、そうでないかで、その出逢いの価値が凡そ定まります。

難しいお話をすると店頭に話だけを目的に来店する方が増えますので、この辺で。。。ディスカッションは他の場でお願いします。
当店は売買する場で、主に「売り場」です。
美術談義は個々人でお願いします(正直、疲れますし営業妨害と見傚しております)

なぜ、この画像から、このような話に到達したのか?と申しますと、かれこれ1年程前だったと記憶しております。
上でご紹介したクナッパーのぐい呑をみて、何度か面識のあるドイツ出身の方が「へ〜!彼の作品がついに古美術商に置いてあるよ」と言いました。
お国柄から申しますと、ドイツの方は商談が長い。。。そして細かい。。。真面目という言葉で全て包まれます。
過去にドイツの方々との交流は割とありましたので、こちらのお客さんとも普通に話をするようになり、ある日、突然の「クナッパーは僕の友達」発言。
そして次の言葉が「でも死んで何年経つだろう」

私にも同じ経験があり仕入れの依頼品の中から知り合いの彫刻や陶磁器が混ざっていると(あ〜、ついに、この人の作品まで扱うような時代になったのか〜)とシミジミする場面は多々ございます。
不思議なことに、フッと思い出すのは創作活動真っ只中の1番活気付いていた頃の作家の姿が記憶に蘇ります。
亡くなった方の亡くなる寸前がどうこう、、、ではなく、その方の最も生きた時期を記憶として残せているのは、自己満足に過ぎませんが供養と敬意に繋がるかな?と脳内が切り替わります。

クナッパーが注目された時代を知る年代は店主の私よりも数十年歳上の方が殆どかと思います。
当時の活躍ぶりを思い出して話をしている事が伝わる瞬間が、このドイツ出身の男性客との時間でした。
そして「思ったよりも少しだけ高く値踏みされてて友達として嬉しいよ」と。

死後は作家の口から語られる事は無く、作品そのものが本当の勝負の場に立たされます。
それらを評価するのが市場の目であり、コレクターの年齢層にも左右される事を肌に感じております。

一流とされる文化勲章受賞の方の作品のあり方について、今の段階でもっと評価を高めて頂きたいと思う時が最近増えております。

美術品の価値がわかる人の目を如何に育てて行くか?
そこが今後、最も課題とされるような気が致しております。


さて、黒い丸の菓子の「核」部分。
気になりますよね。
こしあんです。

表面が固く、歯を立てる時にグッと力を入れます。
そして中の優しく甘い味をした餡子が口の中で調和する、、、こういう食べ物も作品ですよね。

作り手の試行錯誤を想像すると、ただ、目の前に置かれたものが出来上がるまでの経緯に有難さや驚きや時に感極まる感動さえも在るということに、、、多忙な日々の中で気が付いた数だけ幸せな顔つきになるかと思います。
顔の造形を作り出すのも己の内側からじゃないかと、先日、常連さんとお話して笑いました。
「人柄って顔にでるよね!」

ありとあらゆる所に造形作業が行われております。

難しそうな話をしながら日常は平坦に過ごしたいものです。

明日からの連休用に少しずつですが商品運び入れております。
お目当のものがございましたら、お声がけ下さいませ。