2023/09/26 18:30

前の記事「染付」の原材料にスマルト(蘇麻離青)・呉須と記載しましたので、それらを少し掘り下げて記載致します。

(元々、古美術商の記事にここまで情報が必要か?と考えておりましたが、一部の蒐集家より質問が多かったので、個々でお調べ願ってきましたが、年々問い合わせが増える一方なので記載致します・尚、詳細は個人で専門書を御購入願います)

染付の藍色=青・コバルトブルー



全て伊万里蛸唐草紋様長皿

鑑定の中に色をみて時代を見る方法を店頭でお伝えしております。
実物を見なくとも、現代の印刷はだいぶ先進しておりますので、専門書の色見本でも充分にご理解頂けるかと思います。
カラーマネージメントシステム環境の整った出版社・印刷会社の専門書をご覧下さい(企業名は店頭で口頭で教えます・電話メールによる問い合わせは不可)

染付と申し上げましても伊万里の江戸初期と幕末期のものでは藍色の色彩が異なる事は当店の常連客の間では常識となりました。
長い月日が必要でしたが、様々な商品をご覧頂き、お手元に参考品となる磁器を所有して頂く事により、お客様の目利きに磨きがかかり5〜6回目のご来店時には説明無しに商品をお選びいただけるようになり、ここまでが店側の仕事となります。

他の店舗は異なると思いますので、あれこれ店主に質問のみされるのは非常識ですので、御購入意思の無い場合は速やかに店を出られる事をお伝え申し上げます。
又、当店の場合も初めはご説明させて頂きましても、それが何度も続く場合はご来店自体をお断り申し上げます。

藍色の色彩が異なるという意味についてですが、こちらは発色剤のコバルトにより濃淡に違いが生じます。

まず、原材料には2種類存在しております。

■スマルト
中国では蘇麻離青と書いてソマリチンと称します。

濃紺色のガラスに酸化コバルト4%或いは6%程度溶かす

■呉須(ごす)

天然のコバルト鉱が水に溶けて沈殿したものに
鉄・銅・マンガン・ニッケルの化合物が自然に混ざり合い泥土になったものを称します。

上記2種類により絵付けされて焼かれたものが染付となり、ここまでが伊万里で申し上げますと初期伊万里・古伊万里の染付の原材料となります。

*202010.15お問い合わせを頂きましたので追記:上の画像1枚目は初期伊万里/2枚目「福」は李朝(呉須の記事の為、画像使用しております)
 

 

 

そして時代は19世紀(1800年代)に入りますと、日本で申しますと江戸時代「文化・文政」

 

店頭で『こちらが江戸時代の文化・文政頃の染付です』と商品説明を受けながら「何故わかるのですか?」と問われる方こそ、当店の大事なお客様となります。

 

実にわかりやすく、それまでの1600年代から1700年代の初期伊万里〜古伊万里をテーブルに並べてから、幕末期の伊万里を添えますと「あ!色が違う!」と明確にご判断いただける訳ですが、ここから何故色が変化するかを本日は原材料でご説明申し上げます。

 

(店頭では原材料のお話までは滅多に致しておりません・・・きっと初心者の方が聞いても益々混乱されるので、ざっくり色味で初めはご判断いただけるとのご説明をさせて頂いております)

 

それまでの原材料に新たに仲間入りしたのが

 

■化学コバルト

人造の純粋原料から造りだした人造呉須

 

しかし、この時代の呉須にも微妙に色彩に違いが生じているのは蒐集も長くなると自ずと感じてくるはずです。

 

同じ材料を用いても発色が異なる原因は以下の3点が代表的要素です。

 

*コバルトの原材料(顔料)に含まれている不純物が原因の場合

 

*素地と釉に含まれる不純物や成分の違い

 

*窯の温度や酸化、還元状態が原因


では、どのような作が良いとされるかは、この時代に絞り込みますと

 

●コバルトの純度(純度が高いと鮮やかに発色)

 

●素地にマグネシウムや珪酸が少ないもの

 

●釉が透明

 

●窯の温度が高温で還元炎で焼かれたもの

 

この条件が揃いますと鮮やかなコバルトブルーの発色に成功します。

 

 

現在、当店に足繁く通われておられる学生や陶芸家を目指される方にはご自身で配分調整を行い実験的に数をこなす事をお薦め致しております。

 

現在の窯は電気の場合もございますし、昔は焼く過程で置き場所により温度にムラが生じたので同じ絵皿でも異なる表情になるのは焼きの工程で自然と生み出される発色の違いが殆どであり、今、これらを意識して作ろうとしたところで、温度調整が均等で保温される窯では仕上がりも平等となる訳であります。

 

 

お客様からの「何故今の人には作れないの?」とよく聞かれますが、写しという模写的な感覚で作られたものはございますが土から釉に至るあらゆる原材料の配分を調合し、どこまで近づけるか?の工程には目がくらむような時間がを要するのと、同じ材料をまず用意する必要がある為、それらを入手するにはそれぞれの土地に出向き調査しないとならない訳であります。

 

実際、当店に通う学生の中にはそれらを試みる強者もおります。

しかし難しいのが現状です。

 

九州の窯元を巡られるとお分かりになられるかと思いますが、現在も窯元では日々熱心に研究され、それまでの磁器からヒントを得たりしながら平成に相応しいものを制作されておられます。

 

ヒントとなるのは古い磁器だったり、現代社会の異なるジャンルのものからインスピレーションを受けて生まれる作品も多々ございます。

 

決して、どちらが良い、悪いのお話ではなく、むしろ、江戸初期の陶工が幕末〜明治期の磁器を見たら、その釉の透明度や肌の白さに驚かれるはずで、正に、そこを目指して精進した結果がそれぞれの時代の作風に現れているのが歴史上の美術品となります。

 

 

原材料のお話は赤絵も引き続きさせて頂きますが、まずは日本人が食卓に並べる器の代表として染付の原材料をご案内致しました。

 

お手元にございましたら、是非、見比べてみて下さい。

 

 

兎にも角にも『見る』他に鑑定眼は備わりません。

 

 

 

追記:何故文化文政頃に材料が変わったか=それまでの材料は日本国内で採取されたもの、もしくは朝鮮半島から取り寄せていたものを使用していたが、19世紀に入ると西洋文化の到来によりヨーロッパ地方の材料を輸入していたという説があります。当店ではザックリですが、このような説明をさせて頂いており、海外へ輸出入が盛んになる頃には時代は明治となり、それまで手描きで描かれていたものから印判という技法を用いて大量生産に励み商業目線では海外用と国内用に生産物が多様されるようになりました。

わかりやすいのは海外用は裏面が無地の白い肌のままであることが多く、これは日本人のように西洋の方々は皿の表面のみを重視した文化の違いであり、国内用に作られた物は裏に江戸中期から伝わる流行りの紋様が描かれていることが多いとご説明しております。異論ございましたら・・・無視して下さい。美術品の歴史には諸説ございますので、あくまでも断言するに至らないご案内とさせて頂きます。