2023/09/26 18:32

引き続き、日本刀の各部名称図の画像を作成致しました。
日本刀に御興味ある方は、こちらを御覧下さい。
店頭で御説明するにあたり、部分名称を話しますが、まず、こちらで予め御確認願います。
茎(なかご)は、中心とも書きます。
区(まち)は、刃の方を刃区(はまち)、棟の方を棟区(むねまち)と言います。
あとは・・・。
そうですね、刃文(はもん)とは、焼刃の形状を差します。
長さ(刃長)は、反りがあればあるほど、短く表示されます。

さて、日本刀は時代を区分されているのを御存知かと思いますが、今一度、記載致します。
古刀(ことう)=平安時代~文禄頃(1595年)まで(秀吉の時代と申せば解りやすいですね)
新刀(しんとう)=慶長(1596年)以降~宝暦(1763年)・安永(1780年)←書物により違いがありますが、江戸中後期まで
新々刀=明和(1764年)・天明(1781年)~明治初期(1876年)まで
現代刀=明治(1877年)~、大正、昭和に作られた刀
書物により時代区分が異なる記載がありますが、当店では宝暦と明和で区分しております。
太刀(たち)=刃長二尺以上。三尺のものもあります
刀(かたな)=刃長二尺以上(太刀と区分され打刀とも言います)
脇差(わきざし)=刃長一尺以上、二尺未満
短刀(たんとう)=刃長が一尺未満のもの(合口とも言い鍔のついていない拵絵に入ってます)
以上の他にも薙刀(なぎなた)・槍(やり)・剣(けん)等もあります。
*一尺→約30.3cm
刀剣に御興味の無い方でも、なんとなく親しみがわくのは、日本語から入ると良いかもしれません。
 『鎬を削る戦い』しのぎをけずるたたかい
とは、元々、図の鎬部分を両者が接近し刀が重なり合い、その部分が削れる程の激戦を言います。
これに近いところで『鍔ぜり合い』つばぜりあい、と言う言葉もありますが、こちらも鍔で打ち込まれた刀を受け止めた様子から転じて言われるようになりました。
ここでポイント!
当店を訪れて下さる皆様が、おもわず『へ~!そうなんだ!』と仰るのが、鍔。

よく「つばをつける」と、舌を出して指先で舐める真似をして、対象物にちょん!とされますが、これは随分と時代が下がってからの粋な表現です。
元々、鍔を付けるとは、侍が最後に装着するのが鍔であり己の物となる証でもある事から言われるようになりました。
鍔と唾を捻ったのでしょうね。
私の説明でお解りになりますかね・・・。
ですので、この話をしますと、大抵の方が「うわ~、日本語って深いね~」と刀に関心を寄せてくれるようになります。
見所を話すよりも、こちらを入口としますと女性の方でも楽しく観賞出来るようになります。
日本刀は美しいものだと仰る女性も増えております。
引き続き・・・
『反りが合わない』(そりがあわない)
これは、それぞれの刀には反りがあり、どの鞘(拵)にでも納まるものではなく入らないものもあります。それを反りが合わぬと言い、仲が合わない(しっくりこない)事を表すようになりました。
『もと鞘におさまる』もとさやにおさまる
これは、現代の若い世代でも良く使っておりますが、言葉通り、元の鞘にはスッと入る様から夫婦等が喧嘩した後に戻る様を表しております。
さて、この辺で失礼致します。。。
まだまだ、他にもございますが、切りがなくなりますので。。。
各部の名称画像はお使い頂いても構いませんが、鍔画像は転記等禁止致します。
ちょっと歴史に触れます。
ポツダム宣言←ここは説明しません。により、日本国内の武器とされるものは全て連合国軍に引き渡すことになりました。
集められた刀は推定3000000本(フリ)を越えたとされております。
軍刀から美術品とされる刀まで全てです。
当時の刀剣愛好家等によりGHQへの働きかけ「善意の日本人が所有する骨董的価値ある刀剣は審査の上で日本人に保管を託す」事になりました。昭和20年。
没収から救うことが出来たのは約200000本(フリ)程。
細かくは記載しませんが・・・。
平安時代から続く日本刀の歴史の中で、このような時代を割と近代に乗り越えていた日本刀の歴史。
国宝指定されているものが美術品の1割をしめるのも刀剣。
こゝろして御覧下さい。